「黒谷定円」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三) | 【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三) | ||
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【執筆者:髙橋寿光】 | 【執筆者:髙橋寿光】 |
2022年12月9日 (金) 08:45時点における最新版
くろだにじょうえん/黒谷定円
寛政一一年(一七九九)—明治一一年(一八七八)一一月一二日。廓蓮社寥誉龍阿金亀。金戒光明寺五六世。俗姓は伊藤、美濃国石津郡山崎の人。文政三年(一八二〇)四月美濃善教寺円珂のもとで得度し、五年たらずで増上寺学頭になる。嘉永元年(一八四八)江戸崎大念寺三九世となり、安政三年(一八五六)九月に黒谷へ入る。以後、御影堂厨子・須弥壇等の修理、山門落慶、高麗門および茶所・浴室等の建立、宗祖六五〇回遠忌厳修等の寺門興隆に励んだ。明治五年(一八七二)八月権大教正叙任。
【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三)
【執筆者:髙橋寿光】