「前田聴瑞」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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まえだちょうずい/前田聴瑞
明治二二年(一八八九)一月二一日—昭和二九年(一九五四)五月二三日。心蓮社礼誉顕阿夢舟。宗門功労者。京都市北区紫竹の山鼻家に生まれ、明治三〇年(一八九七)京都府八幡市橋本西遊寺において、後に養父となる前田聴典について出家得度し、幼名梅治郎を聴瑞と改める。同四一年浄土宗立宗教大学予科修了、同四四年第三高等学校卒業。大正三年(一九一四)京都帝国大学文科大学印度哲学専攻卒業後、ただちに高野山大学教授に就任。翌年現職のまま大阪府枚方町(現・枚方市)台鏡寺住職となる。同九年高野山を下り浄土宗佛教専門学校ならびに真言宗京都大学教授、同一一年華頂高等女学校校長を歴任する。同一五年から二年間、宗命によりイギリス・ドイツ・フランスへ印度哲学・仏教学研究および宗教教育事情視察のために留学。昭和七年(一九三二)関西大学講師となるも、同一六年大阪一心寺に転住。同二〇年大阪大空襲により一心寺全焼、最晩年まで再興に心血を注ぐ。同二四年佛教大学教授に復職。また同年、浄土宗本派の分裂問題を抱えた宗の懇請により浄土宗宗務長に就任し、統一に尽力する。遷化の際、宗は功績を称して勧学を贈り、のちに大僧正が追贈された。著書に『墨染の聖者』(金尾文淵堂、一九二四)、『阿弥陀経十講』(同、一九二六)、『彼岸への白道』(一心寺、一九二九)、『半金色の聖者』(知恩院、一九二九)、『法然上人の思想と宗教』(『仏教思想大系』一七、大東出版社、一九三三)などがある。
【参考】前田聴瑞『発願文私記』(一心寺、一九五五)
【執筆者:伊藤瑛梨】