「弁秀」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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べんしゅう/弁秀
元禄一〇年(一六九七)—安永元年(一七七二)七月二九日。心蓮社歓誉天阿喜受。増上寺四七世。生国は遠江国浜松。氏姓は不詳。浜松玄忠寺で得度後増上寺で修学。のち鎌倉光明寺玄達に随身するが再び増上寺で修学。結城弘経寺三三世、飯沼弘経寺四六世、小石川伝通院三三世を経て、明和三年(一七六六)一一月増上寺四七世に就任。学業策励と節倹を命じる制条を定め、山内の綱紀粛正をはかった。同七年一一月七日隠退。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】