「内証外用」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ないしょうげゆう/内証外用
内証とは仏の所証の理(内なる悟り)のことであり、外用とはそれに基づく摂化利生の用(救済作用)のこと。内証は自内証ともいう。法然は『逆修説法』四七日において「一切の諸仏は内証等しく具して一仏も異なり無き故に、諸経の中に仏の功徳を説くに、惣じて内証の功徳をば説かず、ただ別して外用の功徳を説くなり」(昭法全二五五)といい、内証は諸仏平等であり、外用は仏の個別的なはたらきであることを示している。善導は『往生礼讃』において「諸仏の所証は平等にしてこれ一なれども、もし願行をもってきたし収むるに因縁なきに非ず。しかるに弥陀世尊、本発の深重誓願、光明名号をもって十方を摂化す」(浄全四・三五六下)と述べ、所証の理は同じであるが、摂化利生の用はそれぞれの仏の願行に基づくものであることを明らかにしている。また法然は『選択集』三において「弥陀一仏の所有る四智・三身・十力・四無畏等の一切の内証の功徳、相好・光明・説法・利生等の一切の外用の功徳、皆ことごとく阿弥陀仏の名号の中に摂在せり」(聖典三・一一八)と述べ、阿弥陀仏のすべての功徳が名号の中に摂在していると説いている。
【参考】藤堂恭俊「浄土教思想の特徴—人間観を手がかりとして—」(『仏教学会紀要』二、一九九四)、曽根宣雄「法然上人における内証・外用③—内証・外用論の論理展開について—」(『丸山博正教授古稀記念論集 浄土教の思想と歴史』山喜房仏書林、二〇〇五)
【参照項目】➡己証
【執筆者:曽根宣雄】