「秦冏」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
しんげい/秦冏
寛政五年(一七九三)—安政五年(一八五八)九月九日。百蓮社笑誉唯阿、字は白純。拈華、梅痴道人とも称した。阿波国徳島(徳島市)に生まれ、浄智寺で出家し、上洛して知恩院山内の心源院に住む。嵯峨正定院の立道より宗学を、東山一心院の恢麟より性相学を学んだ後、江戸に移り増上寺において主学席に就き、天保一二年(一八四一)に結城弘経寺五一世、弘化三年(一八四六)には飯沼弘経寺六七世を歴任した。特に唯識学・儒学に精通し、頼山陽や菊池五山らの文化人との交流も多かった。詩集『梅痴咏物詩』『玉池吟社詩集』を著している。
【資料】「秦冏上人略伝」(『略伝集』浄全一八)
【執筆者:大屋正順】