「石田典定」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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いしだてんじょう/石田典定
大正二年(一九一三)—平成二年(一九九〇)一二月二八日。東京浄念寺・石田海翁の子として生まれる。海翁を師として得度。大正大学に学び、増上寺において堀尾貫務より宗戒両脈を相承。関東大震災の復興事業のさなかに海翁が没し、昭和八年(一九三三)大学在学中に浄念寺の住職となる。同一二年日華事変に召集、除隊後は望月仏教文化研究所に入所して研究に従事、多くの論文を発表する。浄土宗本派の設立に際し同二四年知恩院に出仕、学事課長などの職を歴任。また仏教文書伝道協会においては『仏教布教大系』『現代布教実演叢書』の編集に中心的な役割をつとめた。また法式の整備にも尽力し、法儀司として指導に当たるとともに、浄土宗法式研究所所長、法式審議会委員、浄土宗総合研究所法式部長などの要職を歴任。『新訂浄土宗法要集』の改訂に際して中心的役割を果たした。世寿七七歳。著書に『法事讃をいただく—善導大師の教えから—』(浄土宗、刊年不詳)があり、『法事讃抄本法則』(浄土宗、一九七六)の編集にも携わった。論文に「浄土教神道論の一考察」(『仏教論叢』一、一九四七)、「本邦上世に於ける護国信仰と浄土教」(浄土学一六・一七、一九四〇)、「遊行聖と念仏行」(浄土学二〇、一九四二)、「浄土宗法儀の展開」上(『宗報』昭和五七年四月号)などがある。
【執筆者:大澤亮我】