「性瑩」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
しょうけい/性瑩
明・崇禎元年(一六二八)九月二七日—清・宝永三年(一七〇六)正月二六日。字は独湛。黄檗宗の僧で禅浄双修の人。俗姓は陳氏。中国福建省穂莆田の人。一六歳のとき梧山積雲寺衣珠について得度。清・順治八年(一六五一)二四歳の折、黄檗に隠元を訪ね師の下で大悟す。二七歳、承応三年(一六五四)隠元に随って来朝。寛文三年(一六六三)宇治に黄檗山万福寺が創建され隠元が開山に迎えられると、性瑩は西堂となり師を補佐した。同五年、旗本近藤登之助(法名悟石)の招請により、浜松に同家の菩提所宝林寺を開創。天和二年(一六八二)五五歳にして黄檗山四世を継いだ。元禄五年(一六九二)獅子林に退くと布教活動も盛んとなる。性瑩の民衆教化法として著名なのが『勧修作福念仏図説』で、念仏と修善の勧めに効用があった。宝永三年正月二六日、七九歳で入寂。晩年に至り忍澂や義山など浄土宗の高僧と道交を深め、法然浄土教への接近がみられる。「念仏独湛」と称され、関通の『随聞往生記』など往生伝に名を列ねている。著書に語録のほか、『扶桑寄帰往生伝』『当麻曼荼羅縁起図説』『授手堂浄土詩』『輓偈称讃浄土詠』等がある。
【資料】『続日本高僧伝』、『扶桑撰述檗宗譜略』
【参考】大賀一郎「黄檗四代念仏禅師独湛和尚について」(浄土学一八・一九、一九四二)、長谷川匡俊『近世浄土宗の信仰と教化』(渓水社、一九八八)、田中実マルコス『黄檗禅と浄土教』(法蔵館、二〇一四)
【執筆者:長谷川匡俊】