「功用・無功用」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:22時点における最新版
くゆう・むくゆう/功用・無功用
功用(Ⓢābhoga)とは有功用ともいい、身口意の意識的な所作によるもの。無功用(Ⓢanābhoga)とは身口意の作意がなく、自然のままに仏事を成就すること。真諦訳『摂大乗論』世親釈には「作意を功用と名づく、三世を縁じて起こる。謂く我れ已に作し、正に作し、当に作すべしと。此の如きの作意を離るるを無功用と名づく」(正蔵三一・二六二上)とあり、有功用は七地以前の菩薩、無功用は八地以上の菩薩とされている。迦才『浄土論』では無生法忍を教・観・理・位の四つに分け、「四には位に約して無生法忍を得。謂く、八地已上は真俗双べて行ずるを得るに由る。即ち是れ無功用の智なり。是れ修慧なり」(浄全六・六三五上/正蔵四七・八七上)と八地以上の菩薩に無功用の智が備わるとしている。また、法然は『逆修説法』四七日において三身の功徳を説くなかで「応身とは衆生を済度せんが為に無際限の中に於て際限を示し、無功用の中に於て功用を現し給えるなり」(昭法全二五五)といい、応身のはたらきが無功用のうちに行われていることを説いている。
【執筆者:工藤量導】