—安永六年(一七七七)正月一四日。縁蓮社念誉澹阿。字あざなは葆光。越後の人。敦賀西福寺で得度し、増上寺で修学した。その後、京都京極浄国寺に入り諸国を行脚。毎年一二月末から正月三日まで七日間にわたり百万遍の念仏を修した。また、晩年大和国下田(奈良県香芝市)林法寺に住し、安永五年(一七七六)一二月に病を煩い称名念仏を修しながら翌年の正月に寂した。
【資料】『新撰往生伝』五(浄全一七)
【執筆者:田中芳道】