「三隅田持門」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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みすみだじもん/三隅田持門
明治四年(一八七一)一二月五日—大正一四年(一九二五)五月四日。明蓮社仁誉勇阿得大総持門。朝鮮開教の端緒を開き、同地での開教活動に尽力。山口県阿武郡萩町(現・萩市)の士族三隅田清之助の子として生まれ、現在の山口県長門市の極楽寺において得度し持門となる。浄土宗山口教校に学び、明治二二年(一八八九)知恩院において宗戒両脈を相承。山口教校卒業後は国内での伝道活動に励むが、同三〇年六月日本人居留者の希望により単身で釜山に上陸し、同年一〇月には釜山教会所(知恩寺)を創設した。その後は朝鮮各地で開教活動を行う。同三五年には馬山教会所、大正三年(一九一四)には旧助羅教会所などの創設にも尽力、同四年に鎮海教会所に赴任、同五年には大邨教会所(光明寺)に赴任し同一〇年には庫裡と石門を新築している。生涯を朝鮮開教に捧げ、教線の拡張に多大な足跡を残した。
【参考】柴田玄鳳編『浄土宗開教要覧』(浄土宗務所教学部、一九二九)、「浄土宗海外開教のあゆみ」編集委員会編『浄土宗海外開教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)
【参照項目】➡アジア開教
【執筆者:江島尚俊】