「法然上人伝記附一期物語」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ほうねんしょうにんでんきつけたりいちごものがたり/法然上人伝記附一期物語
一巻。『醍醐本法然上人伝記』、または単に『醍醐本』ともいう。真言宗醍醐寺に所蔵されている、法然の伝記および法語を収録したもので、種々ある法然伝のうち最古のものとされる。大正六年(一九一七)に醍醐寺の宝蔵調査で発見されたが、写本は他に見つかっていない。縦一五・四センチ、横一七・一センチで綴葉装。内容は大別して、①これまで『一期物語』とされてきた部分、②『十一問答』、③『三心料簡および法語』、④『別伝記』、⑤『御臨終日記』、⑥『三昧発得記』の六篇からなるが、改丁の仕方から、①②③の『法然上人伝記』、それに付随した④の『別伝記』、そして附けたり部分である⑤⑥の『一期物語』の三部構成である。⑤⑥の識語から編者を源智の弟子に比定する意見があるが、識語は全体には係らず、また『附一期物語』は『法然上人伝記』とは別行で、「見聞書(あるいは出)勢観房」の記述はその下にあるため、⑤⑥の『一期物語』部分は源智系といえる。しかし、全体としては『明義進行集』の作者で、信空の弟子である信瑞が編者である可能性も指摘されている。近世初頭の醍醐寺座主義演准后(一五五八—一六二六)による、「枝葉だが一覧したことを記しておく」と朱筆での奥書があり、そのころには醍醐寺にあったことがわかる。義演にとって枝葉というのは、①には法然が醍醐寺にいる三論宗の先達を訪問した場面しかないため、そのような評価になったと考えられる。義演は醍醐寺に関する事跡を集めた『醍醐雑事記』を編纂しており、本書はその目的に適わなかったのである。本書はもともと醍醐寺に伝来したのではなく、義演の出身家二条家の墓所がある二尊院から醍醐寺に編纂資料として提供されたのではないかと指摘されている。二尊院は『国華本』の作者、湛空の嵯峨門徒が拠点とした寺院で、湛空と信瑞は信空を師とする兄弟弟子であった。二尊院には現存しないが⑥の『三昧発得記』原本が元禄年間頃までは伝わっており、「足曳の御影」が伝わるなど、法然研究の上で注目すべき寺院である。なお『別伝記』には、法然の父、漆間時国の死は法然が比叡山に登って以後のこととするなど、他の伝記にみられない内容も記されている。
【所収】『仏教古典叢書』、法伝全、藤堂恭俊博士古稀記念『浄土宗典籍研究』資料篇(法然上人伝のみ)
【参考】望月信亨「醍醐本法然上人伝記に就て」(『浄土教之研究』仏書研究会、一九一四)、曽田俊弘「『拾遺漢語灯録』と醍醐本『法然上人伝記』の関連性—大徳寺本『拾遺漢語灯録』の研究—」(『仏教文化研究』四五、二〇〇一)、伊藤真昭「醍醐本『法然上人伝記』の成立と伝来について—なぜ醍醐寺に伝わったのか—」(『仏教文化研究』五三、二〇〇九)、永井隆正「顕智筆『見聞』に見られる醍醐本『法然上人伝記』」(『法然上人研究』二、法然上人研究会、一九九三)
【参照項目】➡一期物語
【執筆者:伊藤真昭】