「忍海寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:31時点における最新版
にんかいじ/忍海寺
奈良県葛󠄂城市忍海。奈良教区№二三一。同市平岡の極楽寺の末寺であった。言い伝えでは、聖武天皇の頃、横佩の右大臣藤原豊成(七〇四—七六五)の娘である中将姫(七四七—七七五)が出家して、名を法如禅尼とし、天平宝字七年(七六三)、當麻寺において大曼陀羅を感得したとき、忍海寺の庭前にある池中の蓮茎をとって化尼・化女に捧げて、曼陀羅の地糸として供えたとされている。元禄時代には庭に小さな池があって「村寺之池」と名付けられていたが、当時すでにかつての蓮根は絶えて、他の池から移植した蓮根にかわっていたらしい。昔より草堂があるにもかかわらず檀越がいないため僧侶は住していなかったが、寛文年間(一六六一—一六七三)に道空という者が住して以後は僧侶が相続した。本尊は十一面観音菩薩立像(平安時代)。飯豊青皇女をまつる角刺神社とともに建っている。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)
【執筆者:三宅徹誠】