「闡提」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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せんだい/闡提
仏の教えを信じず、成仏する因縁をもたない者。Ⓢicchantikaの音写。一闡提の略。一闡提伽・一顚迦・一闡底柯とも音写し、信不具足・断善根と訳す。阿闡底迦・阿顚底迦・阿闡提は同類の語の訛音写とみられている。サンスクリットにおけるもともとの意味は、望む者、欲する者であるが、仏典の用例では、因果や来世などを信ぜず、仏の教えを誹謗して成仏の縁を欠く者をいう。『北本涅槃経』一九ではこれについて「一闡提は因果を信ぜず、慚愧あることなし、業報を信ぜず、現在および未来世を見ず、善友に親しまず、諸仏所説の教戒にしたがわず、かくのごときの人を一闡提と名づく、諸仏世尊も治すこと能わざる所なり」(正蔵一二・四七七下~八上)としている。この語は、一切衆生悉有仏性、つまり衆生には本来仏性が具わっていると主張する『大般涅槃経』をはじめとする諸経論において積極的に用いられている。『入楞伽経』二(正蔵一六・五二七中)によれば、二種類の闡提がある。一つは、一切の善根を断じた闡提である。いま一つは菩薩が闡提といわれている。なぜなら、菩薩はあらゆる衆生を涅槃させるまで自分はその境地に達しないからである。前者は、諸仏に値遇して善根を生ずれば、いつかは成仏するが、後者は一切衆生が無辺であるからいつまでも成仏しない。闡提の成仏については各宗で意見が異なり、法相宗では闡提は涅槃性なき者にて、畢竟成仏を得ることができないとしているが、天台宗・華厳宗では闡提も最終的には成仏できるとしている。浄土教においては、阿弥陀仏の大願業力により闡提も往生することができることを闡提往生という。善導の『法事讃』上には、「仏願力を以て五逆と十悪との罪滅して生を得せしむ誹謗と闡提と廻心して皆往く」(浄全四・四上/正蔵四七・四二六上)とあり、闡提の往生の可能性を指摘している。
【資料】『増一阿含経』四四、『選択集』、『決疑鈔』五
【参考】水谷幸正「一闡提攷」(佛大紀要四〇、一九六二)、小川一乗「icchantikaについて」(印仏研究一七—一、一九六八)、下田正弘「『大乗涅槃経』の思想構造 一闡提の問題について」(『仏教学』二七、一九八九)
【執筆者:薊法明】