「十悪」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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【執筆者:齊藤舜健】 | 【執筆者:齊藤舜健】 |
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じゅうあく/十悪
一〇種類の悪のこと。身口意の三業で犯す一〇種類の悪業で十善に対する。十不善業道、十悪業道ともいう。その内容は、殺生(衆生の生命を断つ)、偸盗(他の財物を盗み取る)、邪婬(妻妾でないものと性交渉を行う)(以上、身業の三種・身三)、妄語(言葉によって他人を誑かす)、両舌(争いを構えさせ、仲違いさせる発言をする)、悪口(汚く罵って他者を悩ます)、綺語(飾り立てた無意味な言葉であり、道理に乖く)(以上、口業の四種・口四)、貪欲(むさぼって満足することがない)、瞋恚(心に逆らうことについて忿怒を生じる)、邪見(正しい因果を撥する)(以上、意業の三種・意三)からなる。悪趣に堕する因とされ、例えば『雑阿含経』三七には「殺生乃至邪見、十不善業の因縁を具足するが故に…身、壊して、命終して地獄中に生ず」(正蔵二・二七二下)とされ、『華厳経』十地品には、これらの十悪の程度に応じて三悪道の何れかに堕す因となり、あるいは人中に生まれても苦果を受けることになる、とする(正蔵一〇・一八五下〜六上)。「浄土三部経」中には『観経』下品下生に一例用いられるだけであるが、そこには「不善の業たる五逆十悪を作して諸もろの不善を具す。此の如き愚人、悪業をもっての故に応に、悪道に堕して多劫を経歴して苦を受くること窮まり無かるべし」(聖典一・三一二/浄全一・五〇)とあって、十悪が本来は悪道に堕す因であることを明示する。ただし『観経』では続けて、命終のとき、善知識の勧めによって十声、南無阿弥陀仏と称念すれば八十億劫の生死の罪が除かれ、往生することができる、とされる(同)。法然は『一紙小消息』に「十方に浄土おおけれど、西方を願うは、十悪五逆の衆生の生まるる故なり」(聖典五・九/昭法全四九九)として、十悪を犯しても往生はかなうといい、また、『諸人伝説の詞』中、聖光の伝説に「十悪の法然房が念仏して往生せんといいて居たるなり」(聖典四・四八二/昭法全四五八)との自己認識を示す。その上で『小消息』には「罪は十悪五逆の者も生まると信じて、少罪をも犯さじと思うべし」(聖典五・九/昭法全五〇〇)として、罪を犯すことを戒めている。
【参照項目】➡十善
【執筆者:齊藤舜健】