「捨聖帰浄」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しゃしょうきじょう/捨聖帰浄
聖道門を捨てて、浄土門に帰すこと。実質的には法然が説き始めた概念といえる。法然以前の浄土願生者は、帰浄した後も聖道門の教えは捨てないか、もしくは現実には捨てていても、捨てるべきであると強調することはなかった。それに対し、法然は「たとい先に聖道門を学せる人といえども、もし浄土門において、その志有らば、すべからく聖道を棄てて、浄土に帰すべし」(『選択集』一、聖典三・一〇三/昭法全三一三)などと説いており、浄土門に帰したならば、聖道門は教え・行ともに捨てるべきであるとする。そして、曇鸞・道綽はもとより、『逆修説法』(昭法全二七一)では元興寺智光や永観も捨聖帰浄したと主張する。法然自身の捨聖帰浄の時期は、一般的には「承安五年の春、生年四十三。立ちどころに余行を捨てて、一向に念仏に帰し給いにけり」(『四十八巻伝』六、聖典六・五六/法伝全二四)などの伝記の文に基づき、四三歳(もしくは四二歳)の廻心の時とされる。室町期成立の『正源明義鈔』にいたると、「四十二にしてついに浄土門に入り…一向専修の義をたてたまう」(法伝全八三五上)とあるように、「捨聖帰浄=廻心」が明言されるようになる。ただし、『一期物語』(昭法全四三七)では『往生要集』を先達として「浄土門に入」った後、善導を読むこと三遍目にして「乱想の凡夫、称名の行によって往生すべきの道理を得」たと記されており、その文言からすると、まず捨聖帰浄があって、その後、四三歳にして廻心したと受け取ることも可能である。なお、特殊ながら、『私聚百因縁集』(法伝全九八五上)のように、三三歳の時に浄土門帰入したと明言する資料もある。
【参考】安達俊英「〈内専修外天台〉と〈捨聖帰浄〉」(『仏教文化研究』三七、一九九二)
【執筆者:安達俊英】