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提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:22時点における最新版

ぎょうえん/行円

平安時代中期頃の人。生没年不明。鹿の皮を着ていたことから皮聖、皮聖人とも呼ばれた。長保年間(九九九—一〇〇四)に鎮西から上洛し、寛弘元年(一〇〇四)一条北辺に行願寺を建立、ここを拠点として民衆教化社会事業を行った。主な講会や供養には、同二年の法華八講、同四年の四十八講・釈迦講、同六年の釈迦講・普賢講、同七年の法華経一千部図会仏三千余体供養、寛仁二年(一〇一八)の六万九千三百余灯奉修・万灯会・四部講・百か日講演などがある。藤原道長・行成・実資さねすけら多くの貴族も行円法会に参加し、中でも実資は同三年に等身多宝塔を作らせている。


【資料】『日本紀略』(『新訂増補国史大系』一〇・一一、吉川弘文館)、『御堂関白記』(『大日本古記録』岩波書店/『日本古典全集』日本古典全集刊行会、一九二六/山中裕編『御堂関白記全注釈』高科書店、一九九〇)、『小右記』(『大日本古記録』岩波書店/『増補史料大成』別巻二・三、臨川書店、一九八九)、『権記』(『増補史料大成』五、臨川書店、一九八六/『史料纂集』一八、続群書類従完成会)


【参考】伊藤唯眞「我が国十一世紀における都市伝道の一相」(印仏研究四—一、一九五六)


【執筆者:伊藤弘道】