法華八講
提供: 新纂浄土宗大辞典
ほっけはっこう/法華八講
『法華経』一部八巻を、一日に朝夕各一座(一巻)の二座行い、四日間で全八巻を講説する法会。御八講会・御八講・八講ともいう。『法華経』一部八巻に開経の『無量義経』ならびに結経の『観普賢経』を加えて一〇座に分けて講経する「法華十講」、またこれら三部の経典を三〇日に亘って講経する「法華三十講」等がある。『法華経』を八座で講説するのは、僧詳編『法華伝記』三「唐釈慧明伝」(正蔵五一・五八中)に、慧明が天(人)のために『法華経』を八座開講したことが記されており、中国にその始源を見ることができる。日本では、延暦一五年(七九六、一説には延暦一二年〔七九三〕)に、勤操が石淵寺において同法の僧侶の亡母の菩提のために修したのが始まりとされているが、「八講」の形式は、前代からの『法華経』講説の流れに連なるものである。九世紀から一〇世紀にかけては主に周忌追善供養として行われていたが、一〇世紀以降は、父母・貴人等の慶賀(賀算)や余齢延長祈願・自らの死後の往生の祈念(逆修)・参会聴聞することによって菩提と結縁すること(結縁供花会)などを目的とする法会として展開していった。
【資料】『年中行事秘抄』(『群書類従』六)、『元亨釈書』二(『新訂増補国史大系』三一、五二)、『権記』長保三年(一〇〇一)九月一四日条(『史料纂集』八二、一二八)、『本朝文粋』一〇(『新訂増補国史大系』二九下、二三八)
【参考】桜井徳太郎『講集団成立過程の研究』(吉川弘文館、一九七二)、山本信吉「法華八講と道長の三十講」上・下(『仏教芸術』七七・七八、一九七〇)、佐藤道子「法華八講会—成立のことなど—」(『文学』五七—二、一九八九)、石井行雄「法華講会の世界」(『国文学解釈と鑑賞』六一—一二、一九九六)、小峰和明「中世の法華講会」(『国文学解釈と鑑賞』六二—三、一九九七)
【執筆者:米澤実江子】