「龍舒浄土文」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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りゅうじょじょうどもん/龍舒浄土文
一〇巻(後に増広されて一二巻)。『浄土文』とも。王日休撰。宋・紹興三二年(一一六二)成立か。王は廬州龍舒(現・安徽省舒城)の人で龍舒居士と号したのでこの名がある。劈頭に「予、徧に蔵経及び諸伝記を覧て其の意を取りて浄土文と為す。一字として本とせる所無きこと無し」(浄全六・八三八中)とあるように各種経論や諸伝記から要文を取り出して浄土往生の資糧とした。第一巻浄土起信九篇、第二巻浄土総要七篇、第三巻普勧修持九篇、第四巻修持法門一五篇、第五巻感応事跡三〇篇、第六巻特為勧喩三七篇、第七巻指迷帰要七篇、第八巻現世感応一八篇、第九巻助修上品一六篇、第一〇巻浄濁如一一〇篇からなる。出世間の法や身後の益を説く浄土教は儒教や禅の教えよりもすぐれているとする立場を堅持し、その姿勢は「士人に勧む」「僧に勧む」「参禅者に勧む」(浄全六・八七三中~五中)などを説く特為勧喩篇に顕著に表れ、在家を貫いた居士王の面目躍如と言えよう。八木祥雲訳『和字龍舒浄土文抄』(明治二五年〔一八九二〕刊)は、その特為勧喩篇を和字化した書である。本書の渡来は建久四年(一一九三)から翌年と推定され、念仏多善根説や善導弥陀化身説など、法然の思想形成に多大な影響を及ぼした。
【所収】浄全六、正蔵四七
【参考】小笠原宣秀「宋代の居士王日休と浄土教」(『結城教授頌寿記念 仏教思想史論集』大蔵出版、一九六四)、林田康順「王日休『龍舒浄土文』の研究(2)—その撰述年次と増広考—」(『宗教研究』六六—四、一九九三)、同「王日休『龍舒浄土文』の影響(3)—浄土宗祖師の引用四類型概観—」(『大正大学大学院研究論集』一七、一九九三)
【執筆者:林田康順】