儒教
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅきょう/儒教
紀元前五五〇年頃、魯国(現・山東省)に生まれた孔子の教説と、それを信奉する弟子達の思想のこと。孔子の時代は彼が手を加えた魯の歴史書『春秋』に因んで春秋時代と呼ばれる。その後列強が覇権を争う戦国時代に入る。当時は孔子を始祖とする儒家や老子を奉ずる道家などが、自家を覇者に採用してもらうべく天下を経めぐっていた。故にこの頃を諸子百家時代ともいう。儒道二家以外の諸家はこの二家に分類することができるとされる。やがて紀元前一世紀頃、統一王朝である漢の武帝は儒家一家を国教とした。ここに後世の儒教文化圏の成立基礎ができた。孔子の教説は『論語』にまとめられているが、その中心思想は、個人的には人への思いやりの仁の心の保持であり、社会国家的には仁の道徳倫理を基本とした君臣父子の秩序の確立を目指す政治の実現であった。孔子は自己の思想は独創的なものではなくて、古代の聖人賢者の教を引き継ぐものであると主張した。儒家は古代の聖賢の教を示す書物の中から、『易』『書』『詩』『礼』『楽』『春秋』を整理して後世に経典として伝えた。これが六経である。『楽』は早く亡んだので五経の名が有名である。さらに『礼』と『春秋』は内容がそれぞれ三種に分かれているので『易』『書』『詩』と合して九経となり、後に『論語』『孟子』『孝教』『爾雅』を加えて十三経となり、儒教の中心経典として尊重される。朱熹(一一三〇—一二〇〇)は仏教の空思想に対して性理学を導入し、『論語』『孟子』『大学』『中庸』を四書として顕彰した。孟子は性善説で、荀子は性悪説で有名である。儒教は孔子への宗教的信奉性を重視した名称で、儒家は文献学習に比重を置いた名称といえよう。儒の字は、聖賢の教に濡る意味とか、侏儒(背の低い人)に由来する君主の教育係とか、雨乞いや葬儀を司る人とか、礼法の質問を需ったり需めたりする教師の意味などとされる。
【執筆者:宮澤正順】