「漆間徳定」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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うるまとくじょう/漆間徳定
明治二年(一八六九)—昭和一九年(一九四四)一〇月二〇日。檀蓮社旃誉滴阿松雨。宗門功労者。文芸を通して布教活動を行う。現在の兵庫県明石市に生まれ、明治九年(一八七六)漆間徳厳のもとで得度する。同二六年浄土宗大学高等正科卒業、同二八年専門科卒業と同時に浄土宗第六・第七教区連合教校の教授となる。同三〇年吉岡呵成・望月信亨とともに雑誌『宗粋』(宗粋社)を発刊し教学の発展に寄与するも、吉野山如意輪寺住職就任のため教職を辞す。同四四年浄土宗宗務所布教部長、大正二年(一九一三)知恩院法務課長および執事長を兼任する。同六年誕生寺に晋山。文才に恵まれ、琵琶歌・謡曲など多くの作品を残す。中でも大著『法然上人恵の月影』一五段浄瑠璃本は、同一五年大阪文楽座で上演された。著書に『斥迷浄土教批判』(豊田愛山堂、一九二四)、『法然上人通俗歌調略伝』(誕生寺、一九四一)などがある。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)、北山敏雄編『郷土の法然上人と誕生寺今昔物語』(久米南町偉人顕彰会、一九七六)
【参照項目】➡宗粋
【執筆者:伊藤瑛梨】