「存在論」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版
そんざいろん/存在論
存在(在るということ)についての哲学論のことで、哲学の体系において基本的部門の一つ。語源的には、ギリシャ語のonta(存在するもの)とlogos(理法・理論)の結合した言葉であり、英語ではontology、ドイツ語でontologieである。内容にもとづけば、ヘブライ語のhayah(有)の思想に見られ、古代ギリシャ哲学の初期からあった。
仏教では、釈尊の悟りの思想においては、元来、実体としての存在とそれへの執着を否定する修行・教説であるため、存在の問題は「無」や「空」の周辺において話題となるに過ぎない。実体とそれへの執着を滅却することが重視・強調されて、例えば、無相(姿相の否定)といった扱い方での存在論的思考が窺われる。一方で、縁起の理法の説においては、因縁生起するものの存在を捉えることができ、その点に、一種の仏教的な存在論を指摘することもできる。縁起論と存在論という対応である。
浄土教における阿弥陀仏・極楽浄土・念仏という独自の綱格は、有相的思惟とその表現として特徴を有している。その基本には「有るということはどういうことか」という存在への問いが横たわっているが、少なくともそれを、人間経験の範囲内での事実的記述として理解しようとすることは妥当ではない。そこには、宗教としての信仰・実践行において感得され開明される深い意味が含まれていることに注目しなければならない。いわば、浄土教独自の仏身観と人間観と世界観があり、その浄土教の独自性の解明を、存在論という着想において課題とするときに、単なる神話的解釈を超えて、宗教的な意味の追究を通して真実の理解へと遂行することができることになろう。そのような意味で、存在論という観点は浄土教の宗教的真理解明にとって重要な思惟の場を提供することになる。
【参考】『講座仏教思想』一・存在論(理想社、一九七四)、藤本淨彦『実存的宗教論の研究』(平楽寺書店、一九八六)
【執筆者:藤本淨彦】