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「引接寺」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:19時点における最新版

いんじょうじ/引接寺

山口県下関市中之町。関亀山来迎院。山口教区№一三五。開山は西蓮社忠誉営輪一得。永禄元年(一五五八)当地を巡錫じゅんしゃく中の一得が来迎弥陀引接弥陀発遣釈迦三尊仏画を得、これを安置するために亀山八幡宮の麓の善福寺を改めて建立した。寺号院号はこれによる。慶長二年(一五九七)小早川秀秋の寄進を受け、三世来誉の時に現在地に移った。三一世隠誉は万里までの小路こうじ家の猶子となり、華頂宮から院家の称を賜っている。明治二七年(一八九四)日清戦争の際には下関兵站へいたん部となり、翌二八年四月の講話談判の時には清国全権李鴻章の宿舎となった。開山を永禄三年、秀秋の寄進を慶長三年とする異説もある。


【資料】『蓮門精舎旧詞』三三(続浄一九)


【執筆者:齊藤舜健】