「相閑」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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そうかん/相閑
—天和三年(一六八三)二月二〇日。源蓮社真誉、字は空寂。瓜連常福寺一八世、飯沼弘経寺一六世、小石川伝通院九世。了的より嗣法し、増上寺月行事を経て、慶安四年(一六五一)一二月台命によって常福寺に住し、徳川頼房より寄進を得て伽藍を再興した。寛文元年(一六六一)弘経寺に転住し、翌年伝通院に晋董した。同年九月聖冏生誕の地を光明寺(のち誕生寺と改称)として復興。延宝二年(一六七四)二月伝通院を隠退した後、同三年九月高松藩主松平頼重の招きによって讃岐法然寺に住し中興となった。墓所は同寺にある。著書に『了誉上人伝』『観智国師伝』『廓山和尚伝記』がある。
【資料】『総系譜』中、『浄源脈譜』『小石川伝通院志』『瓜連常福寺志』(共に浄全一九)、『増上寺史料集』一、九
【執筆者:石川達也】