「摂益文」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
しょうやくもん/摂益文
念仏を称える衆生が阿弥陀仏の光明に照らされ、利益を蒙るという偈文。「光明徧照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」。出典は『観経』第九真身観。「光明、徧く十方世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典一・三〇〇/浄全一・四四)と書き下す。本偈文を法要において書き下しで読む場合は「(阿弥陀)如来の光明は」と発声する。日常勤行式において「念仏一会」の前に用いる偈文。また、法然が「月影の至らぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ」(聖典四・四八九/昭法全八七九)と詠んだ和歌は、阿弥陀仏と念仏を称える衆生を、譬えを用いて説き示したもので、まさに「摂益文」の趣意である。これと同様に、『選択集』一六においても「念仏の行、水月を感じて昇降を得たり」(聖典三・一九〇/昭法全三五〇)と述べられ、水と月を譬えに用いている。このような説示は、法然浄土教の特色である、仏と衆生の呼応関係を表現したものである。
【参照項目】➡光明名号摂化十方
【執筆者:三輪隆就】