「浄度三昧経」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
じょうどざんまいきょう/浄度三昧経
三巻。北魏の曇曜によって撰述されたとされる中国撰述経典。北魏の太武帝(在位四二四—四五二)は太平真君七年(四四六)に廃仏を断行したが、帝が崩御すると文成帝が即位し一転して仏教の復興が行われた。本経はその頃沙門統に任じられて仏教界を指導した曇曜によって撰述された経典である。経典目録からは一巻本、二巻本、三巻本、四巻本を確認できるが、現存するものは三巻本である。巻三に、「仏、阿難に告ぐ、是の経を断諸苦本と名づけ、一に総持諸法門三昧と名づく。また浄度三昧と名づく。諸天・人民・鬼神・龍・阿須輪を度して、下、三塗に及ぶまで度脱せざるはなし。諸情を浄め、三界を浄むるが故に浄度と名づく」と説明される。本経は在家と出家の持戒不犯をくりかえし説き続けており、廃仏の原因を比丘の破戒と教団風紀の失墜とに求めるとき、復仏にあたって沙門統の曇曜が、仏教教団の規律を引き締めるために、教団の構成員としての比丘と信者への持戒と自律を求めて撰述したものと考えられる。また道教の用語を多用しているのは、北魏という時代背景を反映しており、そして土着的な内容は脱仏教的でさえある。浄土教では道綽『安楽集』、善導『観念法門』、延寿『万善同帰集』などに引用されており、善導は『観念法門』において本経を六部往生経の一つに数えている。しかし本経は阿弥陀仏とその浄土や念仏をまったく説かないので浄土教の経典とはいえない。
【所収】続蔵一
【参考】牧田諦亮『疑経研究』(京都大学人文科学研究所、一九七六)、牧田諦亮監修・落合俊典編集『七寺古逸経典研究叢書』二(『中国撰述経典 其之二』大東出版社、一九九六)
【参照項目】➡六部往生経
【執筆者:齊藤隆信】