「三種菩提門相違法」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:24時点における最新版
さんしゅぼだいもんそういほう/三種菩提門相違法
菩提に相違する三種の心。菩薩の巧方便回向(利他行)を実践するにあたって障礙となる心で、自己に執着する心(我心)、衆生を安ずることのない心(無安衆生心)、自己のみを供養し恭敬する心(供養恭敬自身心)の三つをいう。世親は『往生論』において、「一には智慧門に依りて自楽を求めず、我心自身に貪著するを遠離するが故に。二には慈悲門に依りて一切衆生の苦を抜きて、衆生を安ずる無き心を遠離するが故に。三には方便門に依りて一切衆生を憐愍する心、自身を供養し恭敬する心を遠離するが故に」(聖典一・三六九/浄全一・一九七)としている。この三種の心は菩提の障りとなるもので、まさに遠離すべき邪心である。第一心は我執の心にもとづいて自身を貪著するから、自利のみを求めてしまう。第二心は自利に徹してしまう二乗の心にもとづくから、衆生に対し慈悲の心をもって抜苦与楽しない。第三心は自身に対して利得と供養と恭敬を欲する心にもとづくから、他を憐れみ敬うことをしない。この三種の心は智慧・慈悲・方便にもとづいて遠離するならば、菩提の障りとなることはなく、菩提に随順する三清浄心に転ずることができる。曇鸞は『往生論註』下の「離菩提障(障菩提門)」(浄全一・二五二上~下/正蔵四〇・八四二中)の標目のなかで解釈を行っている。
【参照項目】➡三清浄心
【執筆者:後藤史孝】