「国内開教」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:23時点における最新版
こくないかいきょう/国内開教
日本国内の、まだ浄土宗の教えが浸透していない地域に宣教すること。永続性のある寺院を建立し、そこを基盤として布教活動を行うことを視野に入れている。浄土宗の教えを広めることは、一般に布教ないし開教と表現される。檀信徒などの信仰教化を目的とする場合は「布教」。一方、主にこれまで広められてこなかった地域などに、新たに浄土宗の教えを広める場合には、「開教」が用いられる。
[戦前の開教]
江戸期においては、徳川幕府の宗教制度によって、新寺の創建が禁止されたり、寺請制度によって檀信徒関係が固定されたため、北海道松前藩などを除いて、開教活動は認められなかった。明治期になって、キリスト教の布教活動の公認をうけて、大日本帝国憲法の信教の自由に保障された各宗教の自由布教、開教の時代が始まった。浄土宗においても、それまで宗派寺院が配置されてこなかった地域に、開教の意欲に燃えた教師たちによって、開教活動が始められていった。当時北海道南部は開拓途上にあって、各地から人口も集中し始めていた。北海道の浄土宗寺院の多くがそうした時期に開教を始めている。たとえば函館市の称名寺は、正保元年(一六四五)に伊勢から来た円龍が、阿弥陀庵を開いたのが始まりで、明暦元年(一六五五)に阿弥陀堂と改称し、元禄三年(一六九〇)に浄土宗光善寺の末寺として、寺号を現在の称名寺と公称した。また、札幌市の新善光寺は、明治一五年(一八八二)、大谷玄超が大本山増上寺特命開教使として北海道を巡教した際、札幌に寺院創立を企図し、同年新善光寺公称の許可を得て、同一七年開山した。小樽の天上寺は、石上皆応が明治一〇年(一八七七)に小樽に開教に入り、同一三年に浄土宗函館中教院小樽出張所を設立し、同一五年に天上寺と公称した。このように北海道の初期創建寺院には、多くの開教使が寄宿し、そこから各地に布教所や開教所を作り、寺院を建立していった。また、袋中が慶長八年(一六〇三)に沖縄に漂着した際、時の琉球王であった尚寧王の帰依を受けて念仏の教えを広めたが、その袋中が帰国後京都三条に復興した檀王法林寺の住職により、昭和一二年(一九三七)に、那覇市垣花に別院袋中寺が建立されている。これは、浄土宗沖縄開教の始まりといっていい。なお、現在の南海教区高知組は、明治時代には廃仏毀釈によって高知県内の浄土宗寺院の多くが廃寺となり、寺院数が教区の規模に至らなかったため、高知開教区と称されていた。
[戦後の開教]
戦後の国内開教の場合は、個人の開教と浄土宗の政策的な開教の二種がある。宗門の開教への対応は、昭和四七年(一九七二)、沖縄が返還されたのを機会に、沖縄戦によって焼失した袋中寺の復興の気運が高まり、浄土宗によって、同五〇年に那覇市小禄に新たな袋中寺が建立されたことに始まる。現在でも、同寺の責任役員には、宗務総長などが就任している。平成二年(一九九〇)には、「国内開教に関する規程」(宗規第八八号)が制定されているが、その目的は、第一条に「国内における地域人口の流動等にともなう過疎、過密化及び社会構造の変動に対応する本宗の有機的教化方策を策定して、教化施設の復興又は新設するなど開教活動の促進と寺院の活性化を促し、もって本宗の教宣の拡張を図る」とあるように、日本社会の「過疎化・過密化」という人口の劇的変化に対応することにあった。また、これまでの海外開教とは別に「国内開教」という用語が、初めて正式に用いられ、この目的達成のために、国内開教委員会が設置された。委員会の目的は、①国内開教の有機的展開のための方途の策定、②国内開教地域の選定及び解除、③国内開教使の資格審査、選任及び解任に関する事項の協議検討決定を行うことである。こうした、宗門が積極的に取り組む指定開教地区、指定開教使制度によって、主に、人口が急増しているにもかかわらず、江戸時代の寺院配置のままのため、寺院が少ない地域への手当として指定を受けた開教地区に任命された開教使は、平成一二年から平成二五年度まで二一人、寺院数も二一にのぼる。指定地域に建立された寺院は、東京・埼玉・神奈川に計九箇寺、大阪・山形・熊本・宮崎・鹿児島・千葉が各一箇寺で、本土復帰後、仏教が受け入れられつつある沖縄が六箇寺ある。すべての寺院が浄土宗と包括関係を結んでいるのは当然として、そのうち、所轄の地方公共団体から法人認証を受けた寺院は九箇寺で、その内沖縄県は四箇寺である。これらすべての寺院は、初期寺院立ち上げ準備のための一時金と三年間にわたる金銭的補助を受け自立を目指す。また五年間は、施本等配布物の無償提供を浄土宗の外郭団体である浄土宗開教振興協会から受けている。
【参考】宗規第八八号「国内開教に関する規程」、総合研究プロジェクト・開教「沖縄本島都市部における浄土宗寺院の現状と展望①・②」(浄土宗総合研究所『教化研究』一五・一六、二〇〇四・二〇〇五)
【執筆者:武田道生】