「阿弥陀寺清規」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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あみだじしんぎ/阿弥陀寺清規
中世後半の近江教団の拠点であった金勝(滋賀県栗東市)阿弥陀寺の末寺法度。同寺三世の厳誉宗真が明応元年(一四九二)九月に制定した。「定、宗体諸末寺法度之事」と頭書され、三八箇条からなる。本寺には住持、宿老、役者が置かれ、それぞれ権限を有して運営され、衆議が重んじられた。座配は戒臈によって決められ、開山(隆尭)先師の報恩別時念仏には末寺門弟の出仕が求められた。末寺の住僧が物詣など他行のときは本寺に注進し、末寺の徳分を私してはならず、また住持、末寺番、坊役者などをみだりに批判しないこと、また末寺に諍論が生じ解決できないときは、本寺に注進し寺家から退去せしめた。門末は本寺興隆のため諸役忠勤につとむべきことなどが定められ、かなり統一ある寺院組織、本末関係ができていたことがうかがわれる。また宗侶の心得として才学を誇らず念仏に励み、開山隆尭の『浄土念仏安心大要抄』や宗祖の法語を指南として安心立命すべきことを要請している。寺院生活に関しては殺生禁断、断酒はもちろんのこと、碁、将棋、勝負事、歌舞音曲をやめ、小袖を用いず昼夜衣を放たず、よろず質素を旨とし、盗人に備える以上の武器を置かず、地下への他宿や日暮以後の在家への出入を避けること、犯罪者、誣告者とは同座かなわず、特に融資、仲介業を禁じ、興隆と号して堂塔建立の勧進聖となることは、由緒理由があり衆議談会の上ならば容認している。また伊勢、熊野、善光寺などへの物詣は恩徳報謝、信仰増進のためならば、住持の許しを得ることを条件に認めている。阿弥陀寺は近江の湖南、湖東地方の拠点寺院であり、また開山隆尭は浄華院の向阿証賢の教学を汲んでいるので、近江における一条派の弘通に貢献している。本法度は浄土宗地方(近江)寺院の様態を知る上で、貴重な資料である。
【参考】『滋賀県史』五(滋賀県、一九二八)、藤本了泰「現存古文書を中心として見たる中世の浄土宗教団」(浄土学一六・一七、一九四〇)、『栗東の歴史』第一巻古代・中世編(栗東町役場、一九八八)
【執筆者:伊藤唯眞】