「信楽」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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− | [[信仰]]上の境地、心理的作用を表す語。信じねがうこと、信じよろこぶこと。この語は諸経典に数多くの用例を見出すことができ、「[[浄土三部経]]」では『[[無量寿経]]』上の[[四十八願]]中、第十八[[念仏往生願]]、第三十五[[女人往生願]]、第三十七[[人天]] | + | [[信仰]]上の境地、心理的作用を表す語。信じねがうこと、信じよろこぶこと。この語は諸経典に数多くの用例を見出すことができ、「[[浄土三部経]]」では『[[無量寿経]]』上の[[四十八願]]中、第十八[[念仏往生願]]、第三十五[[女人往生願]]、第三十七[[人天]]致敬願にその用例を見ることができる。そのうち[[女人往生願]]、[[人天]]致敬願では「我が[[名字]]を聞きて、歓喜[[信楽]]して」(聖典一・二三〇/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0009 浄全一・九])と「歓喜」と共に用いられ、[[阿弥陀仏]]がその[[本願]]において、[[聞名]]により[[信仰]]上のよろこびをもたらそうと誓っていることが知られる。このような、仏の名や教えを聞いて[[信楽]]が得られるとする用例は、『[[無量寿経]]』に限らず『称揚諸仏[[功徳]]経』などの[[仏名経]]や『大[[般若]][[波羅蜜]]経』などの[[般若経]]典をはじめ、多くの経典に見られる。また[[法然]]の『[[観経]]釈』は、『[[観経]]』に説かれる[[三心]]と、[[念仏往生願]]のうち「[[至心]]に[[信楽]]して、我が国に生ぜんと欲して」(聖典一・二二七/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0007 浄全一・七])の一節を対応させ、[[至心]]が[[至誠心]]に、[[信楽]]が[[深心]]に、欲生我国が[[回向発願心]]に同じであると捉え(昭法全一二六)、それを承けた[[良忠]]の『[[決疑鈔]]』四は「信は謂く忍許、楽は謂く愛楽なり。愛は是れ信の功なり。故に[[信楽]]と云う」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J07_0277 浄全七・二七七下])と[[解釈]]する。なお上記[[三願]]に対応する梵本対応箇所においては、第三十五願でこそ、この語とⓈprasādaの対応関係を指摘し得るが、第十八願、第三十七願では対応する[[梵語]]が見出せない。 |
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【参考】浄土宗総合研究所編『現代語訳 浄土三部経』(浄土宗、二〇一一)、香川孝雄『無量寿経の諸本対照研究』(永田文昌堂、一九八四) | 【参考】浄土宗総合研究所編『現代語訳 浄土三部経』(浄土宗、二〇一一)、香川孝雄『無量寿経の諸本対照研究』(永田文昌堂、一九八四) |
2023年11月14日 (火) 05:33時点における最新版
しんぎょう/信楽
一
信仰上の境地、心理的作用を表す語。信じねがうこと、信じよろこぶこと。この語は諸経典に数多くの用例を見出すことができ、「浄土三部経」では『無量寿経』上の四十八願中、第十八念仏往生願、第三十五女人往生願、第三十七人天致敬願にその用例を見ることができる。そのうち女人往生願、人天致敬願では「我が名字を聞きて、歓喜信楽して」(聖典一・二三〇/浄全一・九)と「歓喜」と共に用いられ、阿弥陀仏がその本願において、聞名により信仰上のよろこびをもたらそうと誓っていることが知られる。このような、仏の名や教えを聞いて信楽が得られるとする用例は、『無量寿経』に限らず『称揚諸仏功徳経』などの仏名経や『大般若波羅蜜経』などの般若経典をはじめ、多くの経典に見られる。また法然の『観経釈』は、『観経』に説かれる三心と、念仏往生願のうち「至心に信楽して、我が国に生ぜんと欲して」(聖典一・二二七/浄全一・七)の一節を対応させ、至心が至誠心に、信楽が深心に、欲生我国が回向発願心に同じであると捉え(昭法全一二六)、それを承けた良忠の『決疑鈔』四は「信は謂く忍許、楽は謂く愛楽なり。愛は是れ信の功なり。故に信楽と云う」(浄全七・二七七下)と解釈する。なお上記三願に対応する梵本対応箇所においては、第三十五願でこそ、この語とⓈprasādaの対応関係を指摘し得るが、第十八願、第三十七願では対応する梵語が見出せない。
【参考】浄土宗総合研究所編『現代語訳 浄土三部経』(浄土宗、二〇一一)、香川孝雄『無量寿経の諸本対照研究』(永田文昌堂、一九八四)
【参照項目】➡信二
【執筆者:袖山榮輝】
二
—応永七年(一四〇〇)一〇月二二日。知恩院一六世。伝歴不明。
【参考】『華頂誌要』(浄全一九)
【執筆者:編集部】