「臨終正念」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
りんじゅうしょうねん/臨終正念
臨終のときに心が乱れることなく、執着心に苛まれることのない状態のこと。『阿弥陀経』には、「阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、…もしは七日、一心不乱なれば、その人命終の時に臨んで、阿弥陀仏、諸もろの聖衆とともに、現にその前に在す。この人終る時、心顚倒せず、すなわち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得」(聖典一・三一八~九/浄全一・五四)と説かれている。善導の『往生礼讃』の発願文には「願わくは弟子等、命終の時に臨んで心顚倒せず、心錯乱せず、心失念せず、身心に諸の苦痛なく、身心快楽にして禅定に入るが如く、聖衆現前したまい、仏の本願に乗じて阿弥陀仏国に上品往生せしめたまえ」(浄全四・三六〇上)と説かれているが、これは、臨終正念のありさまを示したものである。法然は『逆修説法』一七日において「臨終正念なるが故に来迎したまうにはあらず、来迎したまうが故に臨終正念なりという義明なり」(昭法全二三四)と述べ、亡くなりゆく念仏行者が阿弥陀仏の来迎によって正念の境地に導かれることを明らかにしている。
【参照項目】➡正念
【執筆者:曽根宣雄】