「良恵」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
りょうえ/良恵
一
—正和五年(一三一六)七月一四日。諱は経空。粟田口一位良教の子で、西山深草義顕意の門弟。顕意の跡を継いで、嵯峨竹林寺や白河竜護殿、深草真宗院(六世)に住す。弟子に双空道恵(顕意の実子)がいる。歌人頓阿は良恵にしばしば西方の要路を問い、七七日の追善に際して「今ははや、宿るはちすも開くらむ、別れののちに日かずへぬれば」(『草庵集』)と賦した。
【資料】『真宗講院伝灯略記』(『深草教学』一八、一九九八)、『法水分流記』、『蓮門宗派』
【執筆者:稲田廣演】
二
一六世紀中頃、生没年不明。善蓮社導誉。鎌倉光明寺九世祐崇の弟子となり、のち鎌倉光明寺一三世となる。
【資料】『総系譜』上、『鎌倉光明寺志』(共に浄全一九)
【執筆者:笠島崇信】