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「松濤賢定」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:34時点における最新版

まつなみけんじょう/松濤賢定

慶応元年(一八六五)—昭和一三年(一九三八)一〇月一七日。見蓮社思誉斎阿、あざなは雖愚。また翠山学人とも称した。各種宗門校において子弟の育成に尽力。上野国こうずけのくにに生まれ、幼くして増上寺掛錫かしゃく。山内の妙定院松濤在舜のもとで出家したのち、増上寺石井大宣より宗戒両脈相承浄土宗学東京支校、浄土宗本校を経て高等正科を卒業。その後、浄土宗学東京教校教授、第一大教区第一教校校長、宗教大学教授、芝中学校校長を歴任。またこの間に芝山内の宝松院晋山し、のちに同山内の妙定院に転董した。世寿七四歳。


【参考】現代仏教家人名辞典刊行会編『現代仏教家人名辞典』(同刊行会、一九二〇)


【執筆者:石川琢道】