「念海」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ねんかい/念海
延享二年(一七四五)—文化九年(一八一二)八月一五日。超蓮社倫誉在阿恵学。増上寺五四世。信濃国更級郡牛島村(長野市若穂牛島)倉島家の出身。八歳にて出家したのち、桑名照源寺可梁につき剃髪、深川霊巌寺で修学。増上寺祐月寮に入って、祐月に随順し、江戸崎大念寺、飯沼弘経寺において修学。その後、天明三年(一七八三)学頭に補され、滝山大善寺、瓜連常福寺を経て、寛政元年(一七八九)鎌倉光明寺七八世、同一一年四月増上寺五四世となり、大僧正に任ぜられた。在任中、新規清条を定め、僧侶の規律を正した。また、火災により荒廃した伽藍の再興に尽力したが、文化五年(一八〇八)病気を理由に辞任し、隠室した。著書に『因果小子訓』『蓮門士女訓』などがある。
【参考】『大本山増上寺史』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:和田典善】