「智堂」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ちどう/智堂
享保一一年(一七二六)三月—寛政一二年(一八〇〇)五月一六日。耀蓮社嶺誉在阿元敞。増上寺五三世。生国は伊勢国多気郡丹生村(三重県多気郡多気町)。氏姓は梅田氏。増上寺学頭を経て安永四年(一七七五)深川霊巌寺一九世となり、明和八年(一七七一)に焼失した堂宇の再建に尽力。門弟の不律の引責で一時隠居し諸方を遊行したが、寛政二年(一七九〇)小石川伝通院四四世、同四年増上寺五三世に就任。本堂での盂蘭盆会執行を制定した。同一一年隠退。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】