「詮雄」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:27時点における最新版
せんおう/詮雄
慶長一二年(一六〇七)—貞享四年(一六八七)七月八日。詮翁とも書く。深蓮社広誉直心蓮阿良海。増上寺二八世。生国は武蔵国忍城下の行田(埼玉県行田市)。遵誉貴屋に師事。母追福のため小石川に智願寺を創建。滝山大善寺一一世となり、伽藍修復・学問所の再興、十夜執行など寺門興隆に尽力。太田大光院一二世、鎌倉光明寺四六世を経て、延宝三年(一六七五)増上寺二八世。同八年麻布一本松(現・麻布台)に隠退したが、天和二年(一六八二)伊勢国蓮花谷梅香寺に隠栖。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】