龍松院
提供: 新纂浄土宗大辞典
りゅうしょういん/龍松院
奈良市雑司町。東大寺勧進所(勧化所)。華厳宗。元法然上人二十五霊場第一一番。重源が勧進所を設置した大仏殿の西側の穀屋の敷地内に、貞享三年(一六八六)公慶が大仏の修理・大仏殿の再建のための勧進所として建立。重源が将来した、善導作と伝える五劫思惟阿弥陀仏像を安置する阿弥陀堂、聖武天皇殿および礼堂、経蔵などがあり、宝永二年(一七〇五)に公慶が入滅した翌年、その影堂として公慶堂が建てられた。観真房筆の金剛草履をはいた法然の御影が二十五霊場の札所本尊として阿弥陀堂の脇壇に安置されていた。しかし、嘉永五年(一八五二)までに再建された指図堂に法然の御影が龍松院から遷され、その後、二十五霊場の札所が事実上指図堂となった。明治二〇年(一八八七)大仏殿北にある大喜院が龍松院と改名され、現在では元龍松院は勧進所と称されている。
【資料】『東大寺諸伽藍略録』(仏全一二一)、大庭探柳『公慶上人年譜』(『公慶上人年譜聚英』東大寺、一九五四)、『東大寺年中行事記』
【参考】山本博子「江戸時代における知恩院と東大寺—特に東大寺塔頭竜松院をめぐって—」(『鷹陵史学』一二、一九八六)、同「法然上人遺跡第十一番に関わる諸問題」(『藤堂恭俊博士古稀記念 浄土宗典籍研究』研究篇、藤堂恭俊博士古稀記念会、一九八八)
【執筆者:山本博子】