一二~三世紀頃、生没年不明。法然のもとに入室した常随の弟子の一人として、『没後遺誡文』に名が挙げられる。法然より、覚悟房という僧房や、白川の辺りの一屋などを譲り受けたと記される(昭法全七八五)。古本『漢語灯録』所収の『没後遺誡文』では、続けて吉水の西の旧房を元の持ち主に返却したと記されており、それも長尊を指すと考えられるが名は記されていない。ただし正徳版『漢語灯録』には「吉水の西の旧房は長尊その本主なり」(昭法全七八六)とある。
【執筆者:齋藤蒙光】