生没年不明。叡空が法然に提出した名簿みょうぶの筆者。法然は師叡空との意見の相違からつねに論議をしたが、ついには諍いに至った。しかし、最後には「二字」、すなわち叡空自身の実名じつみょうを記した名簿を弟子覚悟房に書かせ、法然に差し出し自ら門弟になったという。
【資料】『四十八巻伝』一三(聖典六)
【執筆者:福田行慈】