賀茂の河原屋
提供: 新纂浄土宗大辞典
かものかわらや/賀茂の河原屋
京都・賀茂川よりの今出川と北大路の間にあった仏堂で大本山百万遍知恩寺の前身。慈覚大師円仁の創立。『知恩寺歴志略』には「賀茂河原に近き寺故賀茂河原屋と名づく」とある。神道では仏を忌みさけて寺を瓦屋または瓦葺というが、この仏堂も賀茂の神領にあったため河原屋といわれた。また下賀茂神社の本地仏が釈迦如来であったため「今出川の釈迦堂」ともよばれた。下賀茂神社には漆間家の一族から神官になって勤仕するひとびとがあって、かれらはこの仏堂へしばしば法然を迎えたという。
【資料】『長徳山知恩寺歴志略』、『山城名跡志』五、『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)、『翼賛』五二(浄全一六・八一一上)
【参考】伊藤祐晃『浄土宗史の研究』(伊藤祐晃師遺稿刊行会、一九三七)、三田全信「宗祖の遺跡としての賀茂の河原屋」(『摩訶衍』一一、一九三三)
【参照項目】➡知恩寺一
【執筆者:曽田俊弘】