策伝
提供: 新纂浄土宗大辞典
さくでん/策伝
天文二三年(一五五四)—寛永一九年(一六四二)一月八日。安楽庵と号し、日快策伝ともいう。また平林平太夫と自称した。西山派(浄土宗西山深草派)大本山誓願寺五五世。美濃国、土岐可頼(金森定近)の子として出生。兄は飛驒高山城主金森長近。金森家は武将茶人として著名な家系。幼少の頃より美濃浄音寺、策堂文叔について出家得度。永禄七年(一五六四)、一一歳にて上洛し、西山派禅林寺の智空甫叔に師事し浄土教学を学び西山派の法脈を相承。二五、六歳頃より約一五年間、西国に赴き七箇寺を建立・再建、堺・正法寺ほかに住す。その後美濃に戻り浄音寺、西山派檀林の立政寺を預かった後、慶長一八年(一六一三)、六〇歳にて誓願寺法主となる。同二〇年京都所司代板倉重宗の所望により『醒睡笑』を起筆、元和九年(一六二三)、七〇歳で完成。同年、誓願寺塔頭竹林院を創建して隠居する。境内茶室の名をとり自らを安楽庵と号した。秀吉の寵を受けた茶人でもあるが、何より話術に秀でた咄家として活躍した。『醒睡笑』八巻は近世落語の教科書とされる。
【参考】関山和夫『安楽庵策伝』(青蛙房、一九六一)
【参照項目】➡醒睡笑
【執筆者:後藤真法】