ゆうしん/祐信
寛延元年(一七四八)—寛政七年(一七九五)七月一五日。誠蓮社証誉観阿、字は無他想。滝山大善寺三〇世。武蔵の人、俗姓は山崎氏。増上寺に掛錫し海誉祐月について出家。師の転住に随従し宗戒両脈を受ける。祐月が安永九年(一七八〇)知恩院に転昇すると、増上寺に帰り持寮、のち学頭となる。寛政元年(一七八九)四月台命によって大善寺に住した。祐信の行業は弟子隆円の『近世往生伝』に詳しく、臨終は厳粛であったことが知られる。世寿四八歳。
【資料】『新撰往生伝』五、『浄源脈譜』、『三縁山志』、『滝山大善寺志』
【参考】大橋俊雄『専念寺隆円上人集』(大和学芸図書、一九八一)
【執筆者:石川達也】