略選択
提供: 新纂浄土宗大辞典
りゃくせんちゃく/略選択
『選択集』第一六章の私釈段は『選択集』全体の結びの一段という位置づけとなっており、①八選択、②総結、③偏依善導、④本集述作の経緯の四部分で構成されるが、「略選択」とは②総結の一節全体を指す呼称であり、『選択集』の内容を短くまとめた一節とみなされている。具体的には「計れば、ⓐそれ速かに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中には、且く聖道門を閣いて、選んで浄土門に入れ。ⓑ浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中には、且く諸の雑行を拋って、選んで正行に帰すべし。ⓒ正行を修せんと欲せば、正助二業の中には、なお助業を傍にし、選んで正定を専らにすべし。ⓓ正定の業とは、すなわちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、必ず生ずることを得。仏の本願に依るが故なり」(聖典三・一八五/昭法全三四七)と説く一節を指す。つまり「ⓐ速やかに悟りに至るためには、聖道門と浄土門の中、浄土門を選べ。ⓑ浄土門の行の中では、雑行ではなく正行を選べ。ⓒ正行の中では、助業ではなく正定業である称名念仏を選び修せ。ⓓそうすれば必ず往生できる。なぜなら、称名念仏は仏の本願に順じているから」という趣旨である。この一節のⓐ~ⓓが『選択集』のどの章に相当するかについては、ⓐを第一章に、ⓑを第二章に配当するのはほぼ一致するものの、ⓒおよびⓓを㋐第二章、㋑第三章、㋒第三章~第一六章のいずれに配当するかで、古来、諸説がある(石井教道『選択集全講』六六六頁、参照)。ちなみに良忠『決疑鈔』五ではⓑⓒⓓを第二章に配し、第三章以下はすべてⓐ~ⓓの全体に包摂されるとする(浄全七・三四三下)。次にこの一段の呼称についてであるが、浄土真宗ではこの一段に三重の選び取りがあることから、これを「三選の文」と呼ぶ。一方、浄土宗では良忠以来、ほぼ一貫して「総結(の文)」(およびそれに類する言葉)が使用されてきた。この呼称は実は浄土真宗においても明治期まではかなり一般的に使われている。そのような中、浄土真宗大谷派高倉学寮の随慧—宣明—霊暀(正慶)—法住という学系において、随慧・宣明が『選択集』全体を「広」、総結の文を「略」、『選択集』冒頭一四文字を「要」と捉えたのを受け、霊暀が『選択集聞書』(一八三九)で、法住が『選択集慶応乙丑記』(一八六五)で、総結の文を「略選択」と称した。これが「略選択」の呼称の始まりと考えられる。この命名の経緯からすると「略選択」は「略『選択集』」の意と見なしうる。なお、この一段に説かれる三重の選び取りを「三重の選択」と呼ぶこともあるが、ここでの選び取りは行者側の選び取りであって、仏を主体とする「選択」とは異なる故に、「選択」とは呼べないとする見解もある。
【参考】安達俊英「いわゆる〈略選択〉について」(『佛教大学報』四六、一九九六)、平雅行「法然の思想構造とその歴史的位置」(同『日本中世の社会と仏教』塙書房、一九九二)
【執筆者:安達俊英】