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玄周

提供: 新纂浄土宗大辞典

げんしゅう/玄周

応永三四年(一四二七)—長享二年(一四八八)七月一四日。南興寂然と号す。清浄華院一四世。万里までの小路こうじ内府時房の子、冬房の舎弟。一二歳にして等熈とうきについて出家。文安三年(一四四六)秋、父時房が建聖院を千本五辻に創建し慧照を開山としたとき、同じく住した。しかし応仁の乱により焼失し松林院に転住。清浄華院の寺務を司り復興を志す。文明一五年(一四八四)一二月二日再建に着手し、長享元年(一四八七)八月三日本尊を奉安する。同二年、女院嘉楽門院の御不例に際し、四月八日に参内し善知識として往生の要路を勧進し、百万遍念仏を修した。同年六月二七日には黒戸御所にて『阿弥陀経』を奏説した。七月六日清浄華院の寺務を辞して松林院に閑居し同月一四日寂。五七日の中陰に際して興慧大和尚徽号きごうを賜った。


【資料】『清浄華院誌要』(浄全二〇)、『総系譜』上、『浄源脈譜』(共に浄全一九)


【執筆者:永田真隆】