じょうこんごういん/浄金剛院
京都嵯峨にあった浄土宗西山派嵯峨流の寺院。一三世紀中頃(建長年間)、後嵯峨上皇が檀林寺の廃墟に一寺を建立し、西山派祖証空の弟子道観証慧を開山とし、康元元年(一二五六)上皇が臨幸して供養する。以後、証慧はこの寺において大いに西山教義の弘通に努める。とくに善導『観経疏』に関する注釈書を撰述し、盛んに講筵をはる。世にこの門流を浄金剛院流(または嵯峨流)という。文永元年(一二六四)証慧の入寂後、覚道や円道など代々碩学が住持する。後世、嵯峨二尊院の境内に移り、漸次に廃れ、現在は廃絶してわずかにその寺名を残すのみである。
【参照項目】➡嵯峨義
【執筆者:中西随功】