法
提供: 新纂浄土宗大辞典
ほう/法
仏教の中心概念の一つ。ⓈdharmaⓅdhammaⓉchos。達磨などと音写される。法(dharma)は「たもつ(√dhṛ)」という動詞から派生した語であり、秩序や法則、あるいは教え、道徳、真実などを意味する語である。仏教でも、仏法や三宝の一つとしての法宝のように仏の教えを法と呼び、また最高の真実である涅槃を法と呼ぶ。さらに法には、ものごとの意味もあるが、これは仏教特有の用法であることが指摘されている。仏教における法の伝統的な理解は「任持自性」(あるいは「能自自性」)と「軌生物解」(あるいは「軌生勝解」)の二句によって理解される。任持自性とは、法が「ものごとの特徴(自性)をたもつ」ことを示したものである。これは『俱舎論』一に「能く自相を持するがゆえに、名づけて法となす」(正蔵二九・一中)というように、法の原義である「たもつ」ということを重視した理解といえよう。一方、軌生物解とは、法にはものごとの規範となって認識を生じさせる働きがあることを意味するものである。このような理解に従えば、法とは「ものごとの本質を保持し、我々に認識を生ぜしめるもの」ということになる。仏教教理の特徴はこのような法の連携によって、存在を考察する点にあり、たとえば五蘊は色・受・想・行・識の五つの法によって存在のありかたを解明するものである。このような視点の意味は、ものごとをいくつかの法に分類して考察することで、そのいかなる法にも執着するべき我がないことを示すことにある。さらに、これは諸法によって構成されるあらゆるものが執着の対象でないことを表すもので、釈尊の説き示した法が、多分に実践的な意味合いを含んだものであることを示している。このような法について、後世には哲学的な分析が進み、これをアビダルマと呼んだ。アビダルマは「法についての分析」を意味し、三蔵の中の論蔵にあたる。この中では法を五位七十五法などに分類し、それぞれの法を定義している。これらの法は「現象を構成する要素」というべきものであり、仏教特有の法の概念を示したものとなっている。
【資料】『俱舎論記』一
【参考】平川彰『法と縁起』(『平川彰著作集』一、春秋社、一九八八)
【参照項目】➡アビダルマ
【執筆者:石田一裕】