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戯論

提供: 新纂浄土宗大辞典

けろん/戯論

正しくない、無益・無用の言論や分別。または、非論理的な話。Ⓢprapañcaの訳。『仏遺教経』に「汝等比丘よ、若し種種戯論せば、その心則ち乱る。復た出家すと雖もなお未だ得脱せじ。是の故に比丘よ、常に急に乱心戯論を捨離すべし。若し汝、寂滅の楽を得んと欲せば、ただまさに速やかに戯論の患いを滅すべし。是れを不戯論と名づく」(正蔵一二・一一一二上)とある。また『中論』一には、「不生亦不滅、不常亦不断、不一亦不異、不来亦不出なり、能く是の因縁を説き、善く諸の戯論を滅す」(正蔵三〇・一中)とあり、ここでは因縁、つまり縁起についての内容と、戯論の否定が説かれている。また『中論』では、戯論には事物に対して愛著する迷いの心から起こる言論としての愛論と、道理に暗い諸種の偏見から行う見論との二種類があるとし、『仏性論』(正蔵三一・八〇三中)には三種および九種の戯論が説かれている。さらに吉蔵『中観論疏』(正蔵四二・一二下)には別に五種の戯論があるとしている。もともとのサンスクリットの原語には、広がり、拡大、分化や多様性などという意味があるが、我々の日常世界は、能知(知るもの)・所知(知られるもの)、能言(語るもの)・所言(語られるもの)によって成立する。ここから人間の日常世界の言葉における無益な言論が起こり、その言論を戯論という。さらには対象を分化し虚妄に分別する精神作用に至るまでを戯論に含むこともある。


【資料】『中論』、『瑜伽論』九一


【参考】中村元『人類の知的遺産一三 ナーガールジュナ』(講談社、一九八〇)、桑山慈紹「戯論」(『密教学会報』一一、一九七二)


【参照項目】➡虚妄分別


【執筆者:薊法明】