縁起によって生じた法を実体として誤認する心作用のこと。Ⓢabhūtaparikalpaの訳語。錯覚などとは異なり、衆生はおよそ縁起の中で現れる諸法を実体視し活動するが、これら諸法を言語的に認識して経験の基盤を作り出すのが虚妄分別であり、煩悩を生じるもととなる。法相宗では特に、顕現した表象を「わたしがそれを認識している」という主客二分の形式で対象化する側面を強調し、仏地以外のすべての心・心所が虚妄分別であるという。
【執筆者:小澤憲雄】