徳川氏
提供: 新纂浄土宗大辞典
とくがわし/徳川氏
江戸幕府将軍家とその親族。浄土宗の大檀越。はじめ松平氏といい、三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市)の豪族であった。系譜では清和源氏、新田氏の末裔と称するが不明。一五世紀初め頃から松平郷に土着。九代家康のときに三河国内を統一し、永禄九年(一五六六)松平を徳川に改めた。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦いで勝利し、同八年征夷大将軍となり江戸幕府を開設した。以後一五代、二百六十余年にわたって将軍職を世襲した。徳川氏と浄土宗の関係は、文安二年(一四四五)飯沼弘経寺二世了暁が松平親忠の帰依を得て御津に大運寺を開いたのが最初。その後、存冏が松平信光の帰依を得て岩津に信光明寺を、また愚底が親忠の支援により岡崎に大樹寺を開いた。こうして三河国内に続々と浄土宗寺院が建立されていった。さらに大樹寺からは愚底や訓公、松平一族から存牛などが知恩院住職となって関係は深まっていった。そして、天正一八年(一五九〇)家康の江戸入城と同時に増上寺を徳川氏の菩提寺とし、手厚い保護を加えて大寺院へと発展させた。家康以降も徳川氏の支援によって建立・修復された寺院は多い。現在の浄土宗がこうした大宗団となったのも、徳川氏の恩恵によるものといっても過言ではない。
【資料】斎木一馬他校訂『徳川諸家系譜』(続群書類従完成会、一九七〇~一九八四)、玉山成元校訂『大樹寺文書』(『史料纂集古文書編』九、続群書類従完成会、一九八二)
【参考】玉山成元『普光観智国師』(白帝社、一九七〇)
【参照項目】➡徳川家康
【執筆者:𠮷水成正】