阿弥陀仏が衆生の機類に応じて相を変え現れること。応現とは応同化現の意味。弥陀応化、弥陀応迹ともいう。法然は『選択集』一六で「僧は恐らくはこれ弥陀の応現ならん」(聖典三・一八九/昭法全三四九)と述べ、善導を弥陀の応現としている。また『四十八巻伝』一四では「貌かたちを見れば、源空上人、真には弥陀如来の応現かとぞ感歎し合えりける」(聖典六・一五六)と述べ、法然を弥陀の応現と受け止める表現もある。
【参照項目】➡弥陀化身
【執筆者:丸山賢立】