生没年不明。聖光の門弟とされることから恐らくは一三世紀中頃の人。聖光の門に入る以前の経歴は不明。嘉禎四年(一二三八)閏うるう二月二九日、臨終の際に専西に対し聖光が西の空を指差して「聖衆の来迎が見えるか」と尋ねたところ、「聖衆は星の列のごとく、阿弥陀仏は大光明を放って来迎している」と答え、その奇瑞に感嘆したという。
【資料】『鎮流祖伝』三、『聖光上人伝』(共に浄全一七)、『総系譜』上(浄全一九)
【執筆者:郡嶋昭示】